今年の夏は暑かった。壁のように暑かった。10月でも、まだ夏か、というような気温がつづいている。温暖化、というわけだが、自分は自然と戦おうとは思わない。仮にこの温暖化を人間がもたらしていることを認めたとしても、この人間は《 […]
現代社会のなかにいれば、優先順位をつけるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、価値観がめまぐるしく推移している。歴史のほうは、もっとずっとゆったりした時間のなかで推移している。だがそれでも、事実の重みは——だから軽さも——たしかにあ […]
1910年4月、大逆事件が明るみでるひと月前、血気盛んな若者たちによって、ある文芸誌が創刊される。その名は『白樺』、資本主義市場からは一線を画した、一度も商業ベースには乗ることのなかった、しかし文壇の天窓を開いたと言われ […]
おそらく、言葉の死があったのだ。《言葉は死んだ!》――言葉だって腐るのだ。ニーチェのいわゆる「神の死」は、神が言葉であることの言明である。だが、わたしのいう《言葉の死》は、生が輪廻転生のうちにあることの言明である。言葉の […]
1619年11月10日、ドナウ河畔ウルム冬営の夜、デカルトは《われ》を発見した。その時、彼に一体なにが起こったのだろうか。われわれは、これを近代の始まりとみることに慣れている。近代とは、神のものでもなく、王のものでもない […]
ニーチェはいう。 すなわち貧弱な心理学者であり人間通。…徹頭徹尾の独断論者であるが、この傾向に重苦しく倦怠し、ついにはそれを圧制しようとねがったものの、懐疑にもただちに疲れてしまう。いまだ世界市民的趣味や古代の美の息吹き […]
遅々として進まぬ更新作業だが、問題はIEのバージョン6である。このサイトの訪問者のうち20パーセント強がブラウザにIE6を使用しているようなのだが、このブラウザのCSS回りがカス(?)なため、かなり難航している。というこ […]
ぼくは、言葉を直接現実に作動させる経験論を諦めていないし、またひとびとの精神を、物体の重力から引き剥がす言葉の独自性も信じている。そして、かつての偉大な文学者たちの言葉に触れるとき、彼らがそうした思考を追い求めていたこと […]
装幀がアマゾンにアップされています。前にもすこし触れましたが、奥定泰之さんのお仕事です。送られてきたPDFファイルを開けたときの感動が思い出されます。すごく綺麗な装幀で、本当、プロは違うなあと思ったものです。フォントの配 […]
こんなナイーヴで、しかも仰々しい言葉で始めることが、よいことだとは、あまり思えない。だが、思い切って、告白する気持ちになって、笑われるのを承知で口にしてみよう。――わたしは、人類の歴史を肯定したい、と思う。人類を、肯定し […]