ゴダール最新作を観に京都へ。 ◆ いまや彼も八八歳である。思えばその処女作からこの最新作にいたるまで、彼は一貫して、映画の根源から、世界にメッセージを発してきた。イメージがもっている純粋さにひきかえ、汚れたもの、濁ったも […]
かつてはいまの倍の長さのあったと記憶する、梅田の地下道を通り、ジャン=リュック・ゴダールの最新作、『アデュー・オ・ランガージュ』(邦題『さらば、愛の言葉よ』)を鑑賞した。 ゴダールの映画は、つねに「映画とはなにか?」とい […]
名前だけならほとんどの日本人が知っているだろう、チャップリンだが、しかし、作品の彼を実際に観たことのある人間は、ずいぶん少なくなっているかもしれない。わたしも『独裁者』をレンタル・ヴィデオで観たくらいで、それ以外は断片的 […]
この作品をもって、鬼才ベルトルッチは巨匠となり、坂本龍一は名実ともに“世界のサカモト”となった。 個人的述懐だが、わたしがこの作品に触れた最初は小学生のときに聞いた音楽においてだった。母がテープでこの映画のサウンドトラッ […]
1980年代日本映画の金字塔。作品の叩き台となった「サラサーテの盤」の原作者である内田百?は、ある特異な系譜に位置する作家である。とはいえ、作品のクレジットに原作「サラサーテの盤」と書かれているが、たんにそれだけが題材に […]
スピルバーグ得意のSFファンタジーもの。本作は最近亡くなったスタンリー・キューブリックにささげられている。 期待せずみたが、なかなかおもしろかった。期待した鑑賞者は多かったかもしれないが、期待に答えうる作品であったかどう […]
某所の映画館でアニエス・ヴァルダ監督作品、『落穂拾い』を鑑賞する。ミレーなどバルビゾン派の絵画に多くみられる落穂拾いの主題から着想を得て撮られた、ドキュメンタリータッチのロードムーヴィーである。齢七十台半ばを迎えんとする […]
中世以来の貴族の息子イジドールは、盛り場の歌姫パロマを見初め、無限の愛を注ぐ。病で医者から余命わずかであることを告げられたパロマは彼の愛人となり、結婚するも、彼を愛することはなく、イジドールの友人、ラウルと一夜をともにす […]
台湾には、今日でも、戦前から居住する本省人と、戦後に中国大陸からやってきた外省人とのあいだに根深い対立がある。歴史的に言えば、日本の敗戦・撤退の後、一九四八年二月二八日、外省人は、本省人の弾圧を敢行した経緯がある。この、 […]
東風と西風。かの5月革命の影響のなか、JLGを中心とするジガ・ヴェルトフ集団によってつくられたもっとも美しい闘争映画のひとつ。政治的西部劇の自己批判といった形で展開する本作は、「二つの戦線を同時に戦う」「造反有利」という […]
パゾリーニ初のカラー作品。パゾリーニ自身、この作品を「映画的」であると評しているように、きわめてよくできた作品であろうと思われる。『奇跡の丘』を撮った後、あいだに3作を経て、それなりに映画的な手法をパゾリーニが身に付けて […]
わたしはルノワール作品はこれが最初の鑑賞であり、数ある作品群から帰納的に導きうるルノワール映画を総じて語る資格をもち合わせていないことを銘記しておく。 戦中の日本では、この映画は反戦的、反国家的であるという理由で上映を禁 […]
超有名シーンの連続。プロペラ機に追いかけられ逃走する思いもよらぬシーケンス、あるいは、四人の大統領像のあるラシュモア山を背景に繰り広げられる、ヒロインの肘が心配なスリル満点のシーケンス。今日のハリウッドのエンターテイメン […]
原題は「マタイ福音書」。パゾリーニ監督の名を決定的にした64年監督作品。一時はカトリック教会から有罪判決を食らったほどのパゾリーニにあって例外的に美しく、教会からも高い評価を受けた作品。だが、イエスの母役に自分の本当の母 […]
‘サイコ’という用語を世界に知らしめた、ヒッチコックのもっとも著名かつ、最高傑作の一つに数えられる作品。低予算で作られたことでも知られる。冒頭でフェニックスの地名が字幕で現われるのが印象的。中盤でのちょっとした出演者のや […]
“フィガロ誌”十周年を記念して製作された短編集『…の見たフランス(パリ・ストーリー)』のなかの一篇。なかにはアンジェイ・ワイダの作品もあり、これは一瞥に値する。 短編集のなかではいつも際立った存在となるJLG作品は、ここ […]
原題は『徒党』。なぜ今まで日本で一般に公開されなかったのかが不思議なくらいポップな映画。タランティーノが、アニエス・Bが、ヴェンダースが絶賛するなどカルト的な人気を誇る映画でもある。ベンヤミンが言っていたキッチュと前衛の […]
アンヌ=マリー・ミエヴィルによる「マリアの本」と、JLGによる「こんにちは、マリア」の二本立ての映画ではあるが、連作であり、あるいは一つの作品と言ってもよい。イエスの母マリアの処女懐胎を現代に翻訳した問題作。当然ながらそ […]
行動イマージュの完成はここに示されたといってよい。3Dフィルムと呼ばれるほどの映画的空間の精密さ、最大限に活用される光と影、寸分の隙のないフレームワーク、あるべくしてある音楽/音響、どれをとっても非の打ち所のない、完璧な […]
劇中にも競走馬の名前で言及があるが、小津安二郎のパロディのような映画。ジャームッシュがヴェンダースと親交があることは衆知のとおりで、また、この映画はヴェンダースからあまったフィルムをもらってつくったといわれている。小津安 […]
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲がこの映画の始まりを告げる。ベートーヴェンは、フィナーレにおいて再び奏でられるだろう。この曲は、ゴダールの『カルメンという名の女』のある重要なシーケンスにおいて、強弁的に奏でられた曲でもある。 […]
ゴダール(JLG)とおなじく歴史を追及しながら、JLGとは対極に位置する映画の極北、ストローブ=ユイレの作品。シェーンベルクの一幕オペラの完全映画化。閉じられた空間のなかで奇妙に演じられる倦怠期の夫婦の無機的メロドラマは […]
涙が止まらなかった。出演者がこちらを向くたびに思わず微笑みかえし、演奏が始まると同時に足が勝手にリズムを刻み、演奏が終われば、拍手をしないでいるのが難しかった。残念ながら、日本には小津安二郎の精神を受け継ぐ者は現われてい […]
まちがいなく、物語は死と直結している。ヴェンダースがいうように、物語、あるいは歴史は、死において語られるほかないのである。 ………… 映画撮影のロケ地となった、ポルトガルのとあるホテルに集まったスタッフたち。だが、突然撮 […]
原題は「モニカとの夏」。自由奔放で快活なモニカと、まじめで臆病なハリーの二人の恋愛は、すでにはじめから後に控えているだろう破局をにじませずにはおかない。ここでは一点だけあげようとおもう。モニカが友人との浮気を決意するシー […]
衝撃的。ロッセリーニの三部作の最初を飾る映画史上つとに名高い『無防備都市』(1945年)よりも圧倒的な印象。映画の範疇を超えているとおもう。この戦後すぐの作品の領域に達した映画はいまだに数少ないだろうし、歴史に取り組む姿 […]
「もはや沈黙は共謀を意味する」というクリス・マルケルらの言葉に応じて集まったフランスの映画監督たちの、ヴェトナム戦争への映画的闘争、『ベトナムから遠く離れて』。ヨリス・イヴェンス、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、ウィリ […]
1983年、オペラ『カルメン』の著作権保護期間が終了し、時を同じくしてたくさんのカルメン映画が作られたという。本作はそのうちの一本であるが、事実『カルメン』のストーリーをなぞりつつも、まるで、そのストーリーのなかに観衆を […]
いかにもぼくが好きになりそうな映画。静と動、言葉と映像、主体と客体、記憶とイマージュ、現実と思想、オブジェ(事物)と人間、アジアと欧米、男と女、売春とロシア人種、存在と非在……。あらゆる二項対立を画面の中に同時に収め、そ […]
副題として、「マルクスとコカコーラの子供たち」と掲げられているように、同時代フランスの若者の分裂症的生態をエッセイ風につづった作品。恋とマルクス、愛と反戦、性愛とゼネスト、避妊とアメリカ、娼婦とコミューン…。15の断章に […]