Bibliography
Kio Tanaka's Works, © 2005-2020.
ヴィーコ、ペギー、折口信夫——歴史と異教徒の魂——
『人文学の正午』No. 12 | 33-58 | March 2024
歴史とは、異端の、あるいは異教の神々との対話である。たとえ同じ母語を共有するはずの自国史であっても、そうなのであり、いわんや神の死んだ現代人からすれば、神はおろか神の存在を信じる者との距離でさえ、文字通り途方もないものだ。……
存在の歴史学のためのプロレゴメナ
『人文学の正午』No. 11 | 5-28 | June 2022
「およそあるものはすべて、どこか一定の場所に、一定の空間を占めてあるのでなければならない」。カントのデカルト批判以来、近代哲学は、《存在》を《場》をともなうものとして語ってきた。ここでの場とは、ニュートンのいう重力が展開される「時空間」である。重力は……
存在の歴史学 近代日本における未成の者たち
有志舎 | December 2021
存在は、なぜひとつの出来事なのか。 わたしがこの問いを本書の中心に置くと決めたのは、つい最近のことである。だが思い返せば、研究者の道を歩みはじめて以来、ずっとそのことを考えつづけてきたのだと、いまは確信している。……
存在の歴史学のための序章
『人文学の正午』No. 10 | 39-47 | June 2020
存在は、なぜひとつの出来事なのか。 わたしがこの問いを本書の中心に置くと決めたのは、つい最近のことである。だが思い返せば、研究者の道を歩みはじめて以来、ずっとそのことを考えつづけてきたのだと、いまは確信している。……
疫病国家論 全体とおぞましきもの
『人文学の正午』No. 10 | 15-31 | June 2020
天文九年(一五四〇)六月、後奈良帝は、蔓延する疫病の終息を願って書写した『般若心経』の奥書に、次のように記している。今茲天下大疾万民多阽於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉。窃写般若心経一巻於金字、……庶幾虖為疾病之妙薬……
オイディプスの杖と未来の人文学
『気候危機と人文学』 | かもがわ出版 | March 2020
アメリカ合衆国前大統領、バラク・オバマは政権終盤、次のように語っていた。AIが勃興するなかでの規制については、テクノロジーの黎明期には何千もの花を咲かせるべき、というのが私の考えだ。その際、政府は研究内容についてはあまり関与せず、予算については大きくサポートし、……
言霊と直毘霊 近代日本の自然概念
『気候危機と人文学』 | かもがわ出版 | March 2020
自然とは何か—。われわれは「自然」なる語を、とくに深い考えもなしに、日々さまざまな場面で使用している。ときに本性や本質などと翻訳されることもあるNatureよりも、ずっと身近なものとして、われわれは、この語を多様な文脈のなかで……
歴史としての紀伊半島 純文学、あるいは中上健次のために
『大和・紀伊半島へのいざない』 | 敬文舎 | March 2020
紀伊半島の東の付け根、尾張河内とも呼ばれた伊勢長島で、一向門徒は信長の軍勢に対し、長いあいだ、ずっと踏ん張っていた 。信長の……
歌学書の可能な変化のために
『国文学研究』No. 190 | 115-118 | March 2020
本とは何か。それは主として紙に書きつけられた文字の束であり、文字は語を、語は文を、文は章をなして一冊の本を形成している。本がひとことでいって文という素材からできている以上、それは文意という外部を有す。問題は……
天皇とはなにか 死・性愛・戦争
『私の天皇論』 | 東京堂出版 | February 2020
なぜ天皇制はかくも永きにわたり持続しえたのか—。世界に類例なき血の持続こそ日本の王権の特異性である。だから、ひとがこの問いを抱くことになんら不自然はない。そしてこの持続に端を発して、……
国家について その人間的条件と近代社会
『歴史評論』No. 838 | 56-69 | February 2020
国家とは何か—。この問いは生硬なものだ。問いへの批判が足りないと感じられても仕方がない。なぜなら、ただひとつの国家が前提されている。そればかりか、国家が外的にも内的にも均質であることが要請されている。つまり、……
王政復古について 非合理性と主体の循環
『史創』No. 9 | July 2019
自分も含め、同時代人は、かつてと比べて歴史からポジティヴなものを引き出せなくなっている、そういう危機意識をもつように……
王政復古異聞 歴史を衰弱から救い出す
『人文学の正午』No. 9 | March 2019
歴史は積極的である。積極的でなければならない、とあえて当為表現でいうべきかもしれない。歴史は現代のネガだと考えられがちだからである。歴史は往々にして、現代の、あるいは政治や社会の従属物や付属品として……
明治維新々論 王政復古と島崎藤村
『明治維新とは何か?』 | 東京堂出版 | December 2018
一九三五年に完成した島崎藤村の『夜明け前』が、作家のみならず、多くの歴史家を惹きつけてきたのはいうをまたない。彼の「夜明け」は、王政復古というより、自由民権運動の頃だが、もちろん、前者を軽視するということではない。復古を待望した一部の先覚者……
本居宣長の生成論と近代 丸山真男と小林秀雄
『想文』No. 1 | June 2018
われわれの思考は通常、名に囚われている。名は無い、といったとしても、それは囚われていることになる。たとえば歴史がそうだ。そこに権力者の名が相対的に多く刻まれているのはたしかである。だからひとは、権力者だけが名をもつ、と誤解する。だが、……
アジア主義について 武士と大陸浪人
『人文学の正午』No. 8 | February 2018
歴史学が長らくおのれに課してきたのは、史料に記された言葉の実在を問うことだった。トロイアは実在なのか。聖徳太子は実在なのか。源義経の逆落としは実在なのか。秀吉の一夜城は実在なのか。南京大虐殺は、従軍慰安婦は、ホロコーストは実在なのか……。……
神話と立憲主義 本居宣長から平田篤胤へ
『人文学の正午』No. 7 | December 2016
本稿の主題は立憲主義である。しかしほんとうは、それはわたしが想定しているもっと大きく重要な世界の一部を占めているにすぎず、その大きな世界からこの概念は理解されるべきである。そのことを理解してもらうために、奇妙な神話学者であるフロイトと……
歴史の詩的転回 同時性と雲の時間
『人文学の正午』No. 6 | March 2016
歴史とはなにか。この問いは、歴史学を稼業とする者がじかにふれるものではない。むしろ、歴史の具体的な対象にふれるにつけ、学者の頭のかたすみに塵のように堆積していくものである。この塵が気になる者もならない者もいるが、いずれにしても、塵は塵、つまり……
核兵器と人文学 科学技術史の彼方で思考すること
『核の世紀』 | 東京堂出版 | March 2016
二〇一五年七月、ブエノスアイレスで開催された国際人工知能会議(IJCAI)において、フューチャー・オブ・ライフ・インスティチュート(FLI)は自律型兵器の禁止を求める公開書簡を提出している。スティーヴン・ホーキングやノーム・チョムスキーらが署名する……
A VISIONARY 歴史家のみた幻
『史創』No. 6 | October 2015
ヴィジョンという言葉は、視覚にかかわる。ただし、視野の範囲に収まっていないという意味では、超感覚的なものでもある。だがにもかかわらず、それは感覚に訪れるのだ。ひとことでいえば、ヴィジョンとは、見えないものを見る《力》である。おそらくそれは、人間の……
世界史的同時性についての一考察 アインシュタインと大東亜共栄圏
『史創』No. 6 | October 2015
同時性の問題は、歴史家にとって、きわめて重大なものである。なぜなら、出来事にかかわるからであり、それどころか出来事そのものだからである。異なる地点で生じた二つの出来事の同時性を探ることは、明確な基準をもち、正確にあわせられた二つの時計が……
法外なるこの世界 近代日本社会と立憲主義
『立憲主義の危機とは何か』 | すずさわ書店 | September 2015
歴史的事件を捉えるには二通りのやり方がある、と言ったのは、シャルル・ペギーである。ひとつは、どうやって事件は始まり、そして事件の終わりはなにを生み出したかをみるやり方である。それは結果論と条件付けに終始する。事件そのものは空虚なまま……
事故から出来事へ 新しい進化論の形
『史創』No. 5 | January 2015
科学は機能の発見/発明に、人文学は概念の発見/発明にかかわる。フランスの歴史家ジュール・ミシュレは、中世末期のヨーロッパを「ルネサンス(再生)」と呼んだ。この概念は、もちろんそれ以前から別の形で用いられたことがあったにせよ(たとえばヴォルテールによって)……
旅と都市 その喪失と国民国家
『人文学の正午』No. 5 | September 2014
著しいコントラストを描く、隣接した時間。たとえば、昨日と今日、去年と今年。平家物語の一節に、時間概念の歴史的変化の可能性を読み取っていたのは石母田正である。彼によれば、詩や物語にみられるごとく、自然の移り変わりについて、日本人は巧みに表現した。……
技術史の臨界 湯川秀樹とアーカイヴ
『史創』No. 3 | May 2013
美しい婦人の頭と獅子の胴をもつ怪物スフィンクスを倒した者は、主権者不在の王国と寡婦となった王妃を授けられる。それを聞いたオイディプスは怪物の許へ向かう。怪物は問うた。「わたくしを悩ます者がおります。朝は四本、昼間は二本、日暮れには三本の足をもつ怪物……
死の記憶 もうひとつの近代
『日本史の方法』No. 10 | March 2013
ラテン語に「メメント・モリ」という言葉があります。「死を忘れるな」「死を記憶せよ」という意味です。それについて田辺元がこういうことをいっていました。「西洋には古くからメメント モリ Memento mori (死を忘れるな)というラテン語の句がある。……
維新の思考 四つのパラドックス
『人文学の正午』No. 4 | January 2013
われわれは、表象と実在の不一致に悩んでいる。時代が混沌としてくると、なおさら不一致の傾向は強くなってくる。大臣といわれるひとたちのあの醜さ。知識人といわれるひとたちのあの軽薄さ。商人たちの前で頭を垂れる、刀を帯びた侍たちのあのみすぼらしさ……
歴史とはなにか 人間と革命
『人文学の正午』No. 3 | June 2012
歴史とは、ほかでもない人間の歴史である。だがこの人間存在が、歴史をあやふやなものにする。自然史に携わる学者がふだん慣れ親しんでいる明晰さと厳密さとが、途端に縁遠いものになる。むろん、その距離を縮めようと試みることはできる。歴史を自然史と同じものに……
統計から貨幣へ 近代国家の歴史的変遷について
『人文学の正午』No. 2 | December 2011
実証主義と構成主義とが対立していると考えるのは、もはや困難である。というか、それらの対立が深まれば深まるほど、いずれもが同じ素朴な経験的実在論と化していく。実践的には、資料から実態を見いだすのか、書き手の思想を見いだすのか、というちがいしか……
《特殊な》知識人 湯川秀樹と小林秀雄
『史創』No. 1 | August 2011
かつてミシェル・フーコーは、「特殊なspécifique」知識人について論じたことがある。ジャン=ポール・サルトルら19世紀から20世紀半ばまでの「普遍的なuniversel」知識人に対する今日的な知識人のあり方について述べたものである。「普遍的な」それが……
近代人文学とはなにか 二つの世紀の記憶と忘却
『人文学の正午』No. 1 | December 2010
本稿は、近代の人文学がいかなるものであったか、もっと正確にいえばどのように機能してきたのか、その歴史的な足取りをたどりながら、来たるべき人文学のための見取り図を示そうとするものである。プラトンやアリストテレスの伝統に連なる「とはなにか……
精神の歴史
有志舎 | June 2009
言葉は、いかにして出来事に生成するのか。いかにして、出来事であったり、あるいはそうでなかったりする資格を得るのか。言葉と出来事の関係をどのように捉えるかによって、唯物論から観念論にいたるまで、さまざまな哲学が、あるいは人間の思考の歴史が……
ティトゥス・リウィウス、ストア的歴史家の自由概念
『ノートルクリティーク』No. 2 | May 2009
古代ローマの自由とはなにか。今日手にしうる、もっとも長大なラテン語歴史叙述であるティトゥス・リヴィウスの『ローマ創設以来の歴史Ab urbe condita libri』(以下、『創設以来』と略記)には、このように書かれている。これから私は、すでに自由となった……
二つの精神、吉野作造と大杉榮
『ノートルクリティーク』No. 1 | May 2008
幸徳秋水を中心に、代議制ではなく直接行動を掲げるアナーキズム運動が狼煙を上げたのは、二十世紀初頭、日露戦争の頃である。だが、それは一九一〇年の大逆事件を契機に頓挫し、社会主義は「冬の時代」を迎えたとされる。そこで「春の時代」を……
国体教育について―京都府行政文書から―
『京都府行政文書を中心とした近代行政文書についての史料学的研究』 | March 2008
京都府行政文書中にみられる、「国民精神文化講習所」と題された一連の文書群について、報告したい。これらの文書は、二〇〇二年に国の重要文化財に指定されたものだけでも一万五千四百七点にのぼる………
和辻哲郎と国民精神文化講習所
『新しい歴史学のために』No. 263号 | March 2007
本稿が取り扱うのは、昭和に入って昂揚し、そして戦争に至って絶頂に達した概念、「精神」についての考察である。資本主義や唯物論に対して、あるいはファシズムや全体主義に対して、ひとびとが「精神」に付与しているのは、おそらく自由の………
自然主義から新カント主義へ
『洛北史学』No. 7 | June 2005
本稿は、近代日本の新カント派思想(新カント主義)を主題とする。日本の新カント主義は、明治三〇年代の桑木厳翼による『哲学雑誌』上の啓蒙活動や、朝永三十郎の京都帝国大学での哲学講座に端を発する。その後、新カント主義は、経済学者、左右田喜一郎………
PRESENTATION
Kio Tanaka's Works, © 2005-2020.
折口信夫と大和
桜井市民大学「歴史と文学」 | 桜井市中央公民館 | 2018-7-25
明治維新とは何か? 『夜明け前』論
明治維新150周年記念連続公開セミナー | 奈良女子大学文学部 | 2018-6-30
志賀直哉と純文学の精神
桜井市民大学「歴史と文学」 | 桜井市中央公民館 | 2018-6-29
保田與重郎と大東亜戦争
桜井市民大学「歴史と文学」 | 桜井市中央公民館 | 2018-5-30
保田與重郎とロマン主義について
奈良学セミナー | 奈良中部公民館 | 2018-5-27
テクノロジーとイデオロギーをめぐる諸問題
『核の世紀』出版記念シンポジウム | 福島大学行政政策学類大会議室 | 2017-2-11
戦争とは何か?
史創研究会例会「戦争とは何か?」 | 奈良女子大学文学部 | 2016-8-5
純文学と歴史—非現在の夢—
第4回人文学の正午研究会大会「純文学と歴史—非現在の夢—」 | 京都大学文学部新館 | 2015-12-13
A VISIONARY 歴史家のみた幻
史創研究会主催書評会 | 奈良女子大学 | 2015-6-27
相対性理論と世界史的同時性
史創研究会例会 | 奈良女子大学 | 2015-4-25
アインシュタインの相対性理論の歴史的な意義について
史創研究会例会 | 奈良女子大学 | 2015-3-22
歴史の詩的転回
第3回人文学の正午研究会大会「歴史と文学 叙事詩の可能性」 | 奈良女子大学 | 2014-12-23
高木由臣著『有性生殖論』によせて
史創研究会主催書評会 | 奈良女子大学 | 2014-9-25
立憲主義の外延
史創研究会例会「戦争と立憲主義」 | 奈良女子大学 | 2014-8-30
湯川、朝永、坂田史料整理の意味すること
第39回日本物理学会 | 東海大学 | 2014-3-28
教育の危機によせる歴史哲学
第2回人文学の正午研究会大会「教養とはなにか?」 | 京都大学 | 2013-12-8
立憲主義の危機によせる一歴史学者の感想
史創研究会・日本史の方法研究会合同シンポジウム「立憲主義の危機とはなにか」 | 奈良女子大学 | 2013-12-1
Memorial Archival Libraries of Yukawa, Tomonaga, and Sakata
第12回アジア太平洋物理会議 | 幕張メッセ国際会議場 | 2013-7-18
The Legacy of Hideki Yukawa, Sin-itiro Tomonaga, and Shoichi Sakata: Some Aspects from their Archives
第12回アジア太平洋物理会議 | 幕張メッセ国際会議場 | 2013-7-15
立憲政の危機と歴史学
史創研究会・日本史研究会合同シンポジウム | 機関誌会館 | 2013-6-23
死の記憶―もうひとつの近代―
シンポジウム「死と社会」 | 奈良女子大学 | 2012-12-8
技術と学問―人文学者がみた湯川記念館所蔵史料―
京都大学総合博物館セミナー | 京都大学 | 2012-11-8
原子力と現代の人文学
科研 原子力開発および原子力「安全神話」の形成と戦後政治の総合的研究 | 京都大学 | 2012-9-15
神話と歴史―詩と戦い―
日本史の方法研究会例会 | 奈良女子大学 | 2012-7-28
歴史とは何か? 人間・革命・歴史学
史創研究会・人文学の正午研究会合同シンポジウム | 京都大学 | 2012-3-4
超越の起源
史創研究会第2回例会 | 奈良女子大学 | 2011-6-17
近代日本における言語使用と国家の問題
史創研究会第1回大会 | 京都府立大学 | 2010-10-30
国体教育について
科研 京都府行政文書を中心とした近代行政文書の史料学的研究 | キャンパスプラザ京都 | 2007-8-26
一九三〇年代の精神
洛北史学会第7回定例大会 | 京都府立大学 | 2006-12-2
吉野作造と大杉栄 大正期における国民国家とアナーキズム
社会思想史学会第31回大会 | 法政大学 | 2006-9-1